割れた窓ガラスにきら、とひかりが弾かれて光った。
広がる塵芥は微小な大群をいくつも纏って私の目の前でふわりふわりと揺れた。
静かに胸だけが酸素を取り込み上下に動いている。
は目で追い切れないほどの塵の体内への侵入を許しがたく、吸う息を僅かに減らした。
碧いガラスだまが二つ揃って此方を見据えている。
私の、遥か上、目の前にたって。

何も言わずにガラスは私を只じっ、と見据えている。
破壊された窓ガラスの欠片は拾われず、まるで水滴に見間違う迄に細かく潰された。
しゃり、しゃりとガラスだまの持ち主は眉一つもぴくりとも動かさぬまま此方へ歩み寄った。
光が男のからだで遮断され、私の目には暗く落とされた影に混じる男のガラスだまが映った。
硝子は、融けることなく闇色に輪郭を現していた。冷たく温度のない、まるで壁を眺める
かの様に無機質にを見つめて。

「あなた、は、だれ」
出ないかと思われた声は予想に反してはっきりと空気を振るわせた。
(ただ、いつものように流れては出て行かなかったが。)

「俺は」
しゃり、と一際大きく空虚な部屋に響いて男は言った。
「悪魔だ」
「悪魔、…悪いけど、私、神様って信じないの」
「神等ではない」

ああ、なんということ、夜中に轟音がしたと思って飛び起きてみればガラスだまを目に宿した
変質者が来るなんて!
しかしいったいどうして私の所なんかを選んでこの悪魔様は窓を叩き割ってきたのだろう
こんな疲れた女のいる、何の変哲もない、寂れたアパートの一室なんかに

「ねえ、悪魔さん。どうしてこんな夜中にこんな所へ?」
依然として私の目の前から動かない深い色のコートを纏った男に、率直な疑問を投げかけて
みた。
男は眉も目も動かさず、只口だけを機械的に動かして喋る。

「仕事だ」
「仕事?」
それっていったいなんていう変態のお仕事ですか、と続きそうになった口を慌てて噤む。

「お前を攫いに来た」
「は、え?今なんていいまし」
た、と言うより早く男は、座り込んで壁にもたれていた私を担ぎ上げて、窓から飛び出した。

(ここは4階だってのに!)

駄目だ、落ちる、死ぬんだ!私はここで!死んでしまうんだ!!
窓を割って入ってきた人攫いの変質者と無理心中させられるんだ!
どうしてあの時私はあんなにも落ち着いていたのだろうか!
ああ、ああ神様!いるんだったらこの際、悪魔だっていい!助けて!

目が下に千切れんばかりに瞑って祈っていても下に落ちる気配は皆無だがしかし、風が通る
感触ははっきりと伝わっている。
不思議に思って瞼をそろりと持ちあげると景色が横に滲んで見えていた。
ゴンだか、ドンだかはっきりと区別のつかない音が周りを囲んでいる。その度に周りの景色は
酷く滲んで後ろへと融けていった。

「な、にをしているの、悪魔さん」
「黙っていろ」

そう言ってしまうと、男は更に速度をあげた。



「っていう夢をみたよ」
「…くだらん」
「絶対男の人ってバージルだったんだよ!」
「そんなものはまやかしに過ぎない、人の都合の良いような」
「でも実際バージルだったらおかしいかもね」
「…」
「無視しないでー!聞いてー!ねえー!」
「…」
「…もしその人がバージルだったらさ、多分自分のこと悪魔とか言わないよね!」
「俺は悪魔だ」
「でも人だよ」

今度こそバージルは顔を背けて古文書に集中し始めた。


くだらない青い幻を

求めればいいとおもう

(だって彼ったら振向いてくれないのだから)
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