ぺりぺりと皮をむいては、消しゴムのカスと一緒にして机の下にはたき落とした。

指の皮が、いや細かくいえば爪の横の皮が中途半端にめくれ上がっていたのだ。

は特に神経質な訳でもないし、ましてやA型でもない。
(A型は神経質、というのが真実ならばの話だが)
だが手を動かすたびにちらちらと目に付くそれはどうしようもなく
イライラしてしょうがない。
それならば、と 
は授業中にすっかり長くなってしまった爪を駆使して皮むきに勤しんでいた。
それがまずかったのか、普段からの行動に目をつけられているのかは分からないが、
教師が私を指差して問題の答えを言うように催促する。…よりにもよってこんなときに。
手で変わらず指を動かしながら、ゆるく身体を起こして席を立った。

「…えーっと…、わかりません」

ねむい上に面倒くさいからいつもより少し掠れた声になったが、
別段気にするわけでもない。
眉間に皺を寄せる教師を一瞥してまた座った。
(ああ、くそまだ綺麗にむけない)

「少しには難しかったか」なんて失礼極まりない言葉を教師は吐いて、
別の生徒を当てるべく目を泳がせていた。
勉強なんかより、今はこの皮の方が私にとっては大事だ。


「じゃあ、…海馬!お前解いてみろ」
「…」

ガガガ、と古臭く椅子が後ろに擦れる音がして私の斜め前にいる海馬君が起立した。
綺麗に整えられた茶色の髪は今日も乱れることなく整然とまとまっている。
(後ろから見る限りでは、だが、彼の髪に寝癖がついているところなんて想像もできないので
恐らく今日もいつも通り完璧に決まっているのだろう)

「…、………です」

私の脳みそではおよそ理解できなかった言葉を海馬君はすらすらと言い放ってまた静かに席に着いた。
座る際にちら、とこちらを振り返った気がした。
(まるで、この低脳が、とでも言いたげな目線だったのは気のせいにしておこう)

その後も私の爪の具合は全くと言って良いほど進展せず、これ以上むくと
肉まで一緒に削げ落ちかねない状態をずっと維持していた。
好きで維持していたわけではないが、さすがに肉が削げてしまいそうなのは少し手が止まる。
吐き出しようのないイライラが少しずつ蓄積されて身体へ沈殿していくのがよく、ようく分かった。

チャイムが鳴り、教室中がざわめきだしたのを耳でおざなりに感じ取って、
それでもなお私は指を弄り続ける。

と、私の手に影が差して視線を上げれば海馬君が静かに見下ろしていた。

「授業中、ずっと貴様は何をしていたんだ」
「え、あー、うんっと…指の皮をむいてた、よ?」

海馬君はいつもの興味なさ気で静かな目を私に向けて問うた。
私はといえば、ありのままを話すだけだ。脚色も何も必要ない。
嘘をついてしまったならば、すぐにバレるであろう事が目に見えているからだ。
(なぜだか分からないけど海馬君の目を見ていると、嘘がつけなくなる。)
海馬君の目を見たことでいくらか意識が指から逸れてしまった。
改めて辺りを見回すとどうやら昼休みであることが伺えた。 
教室内の人はまばらで、残っているものたちは弁当を広げていた。

視線をまた海馬君に戻すと彼は私を、ではなく私の手をじっと食い入るように見ていた。

「海馬君?」
いぶかしげに私がたずねると、彼は視線をこちらに上げないままこう言った。
「放課後、空いているか」
「へ?」
「放課後空いているのかと聞いているんだ、どうせ部活も何も入っていないんだろう」
「あ、うん ヒマヒマ ヒマですよ」
「3回も言わなくていい」
「ご、ごめんなさい?」
「…校門前に放課後すぐに来い、いいな」
「あ、はいおっけーです」

それだけを言うと海馬君は何処かへ行ってしまった。
彼と話すときは何故か普段より丁寧語になってしまう。
それは彼が纏うオーラによるものか、高校生にして大手会社の社長という肩書きに
よるものなのかは到底判別がつかなかった。



日も傾き、近いようで遠いところから運動部の声が聞こえる。
ああなんて元気なんだ皆。
校門から足早に出てくる生徒はすれ違うたびに私をまじまじとみてくる。
頼むから、いかに海馬君が有名人だからって、そんなに私を見ないで下さい。
そう、私は何故か彼と隣に並んで歩いている。
そもそも、同じクラスにいてどちらも部活ないし生徒会に入っていないのだから、
校門前にて待ち合わせだなんておかしいと思うべきだったのだ。
終礼が終わるや否や海馬君は振り向いて「さっさといくぞ」と私の手首を無理やり
ぐい、と引っ張って行ったのだ。
手は何とか離してはもらえたものの、少しでも遅れると「遅い」
少しでも前に行くと「速い」。
な、なんてわがままなんだこの人は!

結局、海馬君の機嫌を損ねるのが非常に恐ろしかったのでずっと彼の隣をキープしながら
校門まで歩く羽目になった。
ハタから見たらなんと剣呑とした空気を纏ったカップルにみえただろう。
校門をくぐったその先には黒くて大きい立派なリムジンが我が物顔で居座っていた。
テレビでしかみたことのないリムジンが今、目の前に!
それだけで尋常じゃないが、更にもっと尋常じゃないことに私はそのリムジンに乗せられようとしている!

驚きの連続で意識が朦朧としたままいつの間にか私は、海馬邸の一体この豪邸にいくつあるのか
わからない応接室に座っていた。
目の前には芳しいお紅茶とお高そうなおクッキーとが鎮座している。
そして海馬君は何故か隣に座っている。
普通、正面だよね。向かい合う形で座るよね。ねえ海馬君。
笑って言いたいところだが、何故か彼は真面目そのものであって、真剣にさっきから私の手を見ている。
そんなに私の手に何か、

「っぁああ!!!痛ぁああっ!!!!痛い!痛いぃい!海馬君!やめて!やめっ!!っ―!!!」

ついているのだろうか、と思うことは強制的に意識の外へ蹴りだされてしまった。
あろうことか海馬君は赤い肉が覗きかけている私の指の皮を一気に力任せに剥ぎ取ったのだ!!

ずるりと、指と爪の間を繋いでいたらしい筋のような皮を海馬君は紅茶のソーサーに置いた。

赤い肉はいまや完全に露わになり、暗い隙間から血と、体液とがぷくぷくとせり出して爪の根元を汚く染めた。
空気すらこの奥にしみてたまらない。シャンプーなんかしようものなら発狂してしまうだろう。

海馬君を力なく見やる。膝に水滴が落ちた。
相当痛かったらしい。私は泣いていたのだ。

「ほったらかしにしていると、イライラして仕方ないだろう」

海馬君は表情一つ変えずに、(しかし彼の口元は僅かに吊り上っていた!)私にそう言い放った。




かすりもしない傷を乞う

(抉れるのは私の肉体だけであって、)
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