「海馬くん!海馬くん!」



「なんだ…用がないのなら話しかけるんじゃない」
「モクバくんには優しいくせに海馬くんってへんなとこケチだよねっ」
「モクバとお前を一緒になどするな」
「うん、そうだね、わかってるよ」
「全く…俺は忙しいんだ、何かと話しかけられるのは迷惑なことこの上ない」
「だって、」

だっての続きが出ずには目を泳がせた。
しばらく考え込んだ後、はぁ、と言葉に出来なかったものを無理やり押し出すようにして息をつく。
胃がきしきしと痛んだ。
いつだって、本当にいつだって海馬くんはそっけないのだ。

「あーあー…」

わざと聴こえるようにぼやいて、勝手にソファに腰かけた。
閉められたカーテンからちらちらと漏れている光は夜のそれだ。
夜、夜だってのに彼は朝から今までずっとパソコンに向かいっきりである。
彼が社長だというのは重々承知しているし、いくら頭の良い海馬くんだって大変なのはわかる。
しかし、どんなに大変なのかは分からないが、(きっと私の貧困な想像力以上に大変なのだろう)
休憩を全く取らないというのはあんまりだ。
それが私のためじゃないにしても、彼のためにじゃないにしても、あんまりだ。あんまりすぎる。

私の思いを知ってか知らずか(恐らくは前者だ)
海馬くんは尚ももくもくとパソコンにご執心だ。ああなんて憎たらしい!
(パソコンも海馬くんも私も!)

すっかり冷めてしまったホットミルクを一気に煽って、少しむせた。
むせながら海馬くんをちら、と見遣ったが彼はこちらを1ミリたりとも見やしない。
彼の日本人離れをした青い鋭い目は、今や白く光を放射する薄っぺらい画面だけに向けられているのだ。
折角こうして泊まりに来ているのに、どうしてこうも冷たく客をあしらえるのか。
彼の血はそれこそ彼の瞳のような青い色なのではないかと思ってしまいさえする。

好きで、好きで愛しくてどうしようもなくて、さっき言葉にできずに吐き出した息もそれと同じ熱を
帯びていたのに、彼は私が望む言葉も表情も何も与えずにただ毅然といつもの海馬くんでいる。
それこそが私の望んでいる海馬くんなのだが、何かが物足りない。

やっぱり、触れられたいものなのだ。それなりに。

「海馬くーん…」
「…」
「あーシカトだー…、ひどい、すんすん…」
「はぁ…」

ため息とともにぎっ、と椅子を鳴らして海馬くんが私の目の前で初めて立った。
片手を肩にあてて、目を閉じながらならしている。
そりゃああれだけパソコンに向かっていれば肩もこるはずだ。
どうせそのまま、また椅子に座ってしまうんだろうとぼんやり眺めていたら、
予想外にも海馬くんはこちらへツカツカと歩み寄ってきた。

何か話してくれるのか、それとも隣で仮眠を取ったりするのだろうかと期待して、うきうきと待っていると
肩に彼の立派な両手が押し付けられた。
後ろは背もたれで、前は海馬くん。
私の脳みそはいちいち遅れて今の状況を処理し始めた。

海馬くんの手がおでこに触れたと思ったら、頬にきていたり、とにかく何がなんだかさっぱり分からないが、
とりあえず海馬くんがスキンシップをしてくれている!それだけでどうにも笑いが止まらない。

「っうふ、うふふ…ふふふふ…」
「何をそんなに笑っている」
「えへぇ、なんでもない、ふふふ」
「フン、貴様のそのニヤケ面はいつ見ても締まりがないな」
「フン、今なら何言われてもいいもんね」
「…」

鼻で笑う彼の真似をすると、海馬くんは露骨に不快な顔をした。
どうやら宇宙まで届きそうな彼のプライドを刺激してしまったようだ。
やってしまった!と思ったときにはもう海馬くんの顔つきは変わってしまっていた。

肩に戻っていた両手は首にまでのぼってきて、浮き出た首筋をなぞり、そのうちに海馬くんの息がかかりだした。

「ちょ、ちょまっ!!まって海馬くん!ごめんなさい!」
「…」

対する海馬君は無言である。このままじゃあ、本当に、危うい。
なんとか両手を突っ張って彼の肩を押しやってはいるが、所詮男と女の力の差なんて地球を一周しなくても
分かりきっているものだ。
渾身の力をこめても、じりじりと海馬くんの息は熱くなってくる。
まってまってまってまってまって!!なんかおかしいよ海馬くん!!

「っ」
やわらかくて湿った彼の唇が首に吸い付いて、息を呑んだ。
体温が低そうな海馬くんとはいえ、他人の体温は非常に熱く感じる。
彼の舌が皮膚をなぞっていった。頭がぐらぐらしてしまう。
彼の肩をぐっと握りしめて、ため息を漏らした。
と、その瞬間彼は思いっきり歯を立てて首に噛み付いてきた。
あまりの痛さと突然さにひゅっ、と叫べなかった空気が喉を鳴らした。

抗議の意味をこめて海馬くんを見ると、さも「痛いか?」といわんばかりの表情だ。
しかも微妙に笑顔でさえいる。この人は…

「すごく痛いよ海馬くん」
「…フン、そうだろうな」
「あーあ、明日体育あるのに…これじゃどうしようも…」
「休めば良いだろう」
「休んだら3キロ休みの日に走らされるんだよ、そんなのいやだ」

海馬くんの顔つきも先ほどより険しくなくなったと思ったら、直の背中に異色な感覚が訪れた。
あろうことか海馬くんの手である。どう考えてもそうだ、間違いなく。
彼の手が服の中を這い回って、下着に到達した、と同時に海馬くんのもう片方の手を力いっぱい押し返した。
彼はもう私が抵抗するとは思っていなかったらしく、ひどく驚いていた。
彼の手を背中から引っ張り出し、オマケに軽くキスをしてから海馬くんの部屋を足早に出た。追いかけてはこない。

メイドさんに来客用の部屋へ案内してもらって、その日は終わりを迎えた。



足が地面を蹴っている感触がいよいよなくなり、肺は膨張してこのまま肋骨を突き破ってしまいそうな苦しさを
まるまる20分間味わった。
喉の奥はひりひりと冬の風で焼け付いて痺れ、タイムを測定していた友達にふらふら、と近寄って呼吸を整える。
喉がからからだった。
頭がちかちかしてこのまま倒れてしまいそうになる。寧ろ倒れてしまった方が楽に違いない。
久方ぶりに酷く疲弊して私は海馬くんの家へと向かった。

日頃とやかく構え構えという私が静かなのが奇妙に思ったのか、海馬くんはパソコンをしながらもこちらを
ちらちらと見る。
ソファの上で「燃え尽きたぜ、真っ白にな…」と言い出しかねない私の只ならぬオーラを感じ取ってくれたので
あろうか、いつもよりも早くパソコンは暗く落とされ、海馬くんは席を立った。
まだ、カーテンからは西日の郷愁的なだいだい色が零れている。
部屋はぼやりとだいだいに包まれて、眠気を誘ってくる。

どさりと海馬くんがソファに体重を預けて隣へ座ってきた。

「貴様が静かだと気味が悪いな」
「うーん、そうねー」
「何かあったのか?」
「ま、ちょっと色々とねー疲れたの今日はさ」

何かを思い出したように海馬くんは一瞬だけ目を見開いて、
それからまた直ぐにひどく意地悪そうな顔へと変貌した。
とてもいやな予感。

「ほお、今日はそういえば持久走だったな」
「…はい」
「なら、もう今日は抵抗する力もなくなる程疲れ切っているというわけだ」
「え、いやそれはその…えええええええええええ!?まっ、まっ」

絶叫も空しく海馬くんは私を力任せにソファへ倒してしまった。

「昨日は結局何も出来んかったからな」
そうぼそりと呟く海馬くんに頭がじんじんとしたのは、持久走の名残か、それとも、


jamming,jamming!

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